氷河期男の咆哮

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「生きるって何?」凹みすぎた夜に読んで欲しい4冊

「もう疲れた」「なんのために生きているんだろう?」「人生って、人間てなんだ?」

現代社会で過ごしていれば少なくない人がこう感じる時があるのではないでしょうか?これは先進国特有の悩みです。本来人間は、生物は生きるために生きます。

明日の生活がどうなるかわからない、今食べるものがないことが日常の国に住んでいる人たちには生きる意味を考えている余裕すらありません。

社会不安や心の病は社会が成熟しているからこそ起きるのです。住む家があって、着る服があり、毎日3食しっかり食べていても、それでも私たちは贅沢と思うことはありません。

青い隣の芝生を見て嘆息し、自分を卑下し、生きているかどうかもわからない何十年も後のことを憂いて心を砕き、病み、最悪の場合は命を自ら断ち、また逆に自暴自棄になって他人の生命を奪うことすら、もはや特別なことと言えなくなってしまいました。

これは果たして正常な感覚なのでしょうか。食べることもできない外国と比べるなんてナンセンスだと思う方もいるでしょう。しかし目の前にある幸せを感じることができないことこそが最大の不幸です。

「下を見ればいくらでもいるよ。」そういうことが言いたいわけではありません。生きることはそれ自体が尊いことです。他者と比べることに意味はありません。

そんなことを気づかせてくれる4冊を紹介します。

目次

ポンコツズイ-都立駒込病院 血液内科病棟の4年間-/矢作理絵

著者はバリバリのアラサーキャリアウーマン。人並み以上の体力を駆使してアパレル業で活躍していた彼女が突然襲われたのは「再生不良性貧血」という病。

日本では100万人に6人という患者発生数で難病指定されています。血液性の疾患で出血が止まらない。感染症のリスクが高まるなどの症状ある疾患です。

2013年に満島ひかりさんがドラマ「Woman」その患者役を演じておられました。

この本のいいところは、生命の危機に瀕する大病でありながら著者、矢島さんの語り口はタイトルからもわかるように、自虐的に自分を笑い飛ばしているところです。

感動や共感を求めるようなところは微塵も感じさせません。その気丈さ、心の強さに胸を打たれるばかりです。

信頼していた人の裏切り、家族のドナー拒否、入院仲間の死などおよそ普通の生活を送っている人では味わうこともないような絶望を、最後は笑い飛ばしてしまう。

そんな彼女が骨髄移植の副作用から苦しみで死を選ぶことを望むくだりは筆舌に尽くし難いものがあります。

窮地を嘆いてしょげ返ることもなく、同情を求めず、このような清い生き方ができる人がいることに力をもらえます。

こんな夜更けにバナナかよ-筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち/渡辺一史

 同じく闘病記になりますが、本書は自立生活を営む筋ジス患者とそれを支えるボランティアたちを書いたノンフィクションです。

体を動かすことも自発呼吸も不能、そして家族もいない鹿野氏が、自宅でひとりで生活するというといったいどういうことか、圧倒的なリアリティで表現されています。障碍者=弱者という先入観を完全に塗りつぶしてしまう鹿野さんの力強さが読者を惹き付ける。

恋や性の問題、ボランティアとの軋轢、きれいごとだけでは済まないギスギスした人間模様はまるで映画の一幕を見ているかのようです。鹿野さんが時折見せる弱さに人間の本質を垣間見る。ドラマよりドラマティックな結末が用意されています。

けだもののように/比古地朔弥

こちらは漫画ですが、主人公は特殊な環境で生まれ育った、人並み外れた美しい容姿を持つ少女ヨリ子。かなり性的描写の多い作品ですが内容はそれのみに止まるものではありません。

およそ人の持つ倫理観も常識も持ち合わせない主人公は、異性と体を重ねることを一切厭わない。それが女として当然の行為のように。

そんな彼女に魅了された少年と初老の男性。彼らはヨリ子に「人間」の生活を送れるように奔走し、翻弄される。彼女と近づけば近づくほど浮かんでくる人としての自分との違いに葛藤し、ヨリ子もそれに苦しむ。

人とは何なのか、人として生きるという意味とは、そして奇妙な三角関係が行き着く結末は。繊細で耽美な描写で描かれた名作。

社会の中で居場所をつくる-自閉症の僕が生きていく風景/東田直樹・山登敬之

自閉症の作家として有名な東田さんと、精神科医の山登さんが互いに質問し合って答えるという往復書簡の形をとった一冊です。有名な方なので動画サイトなども多数アップされています。見てもらうとわかると思うのですが、著者は口頭でのコミュニケーションはかなり困難な状態です。

しかし本書に書かれている文章はただきちんと書かれているという、そんなレベルのものではなく完全に物書きのそれです。創作物ではなく、手紙の体裁にも関わらず言葉の隅々まで透明感があって、なんとも瑞々しい文章。

その清さゆえにことばのひとつひとつに真剣のような切れ味がある。ハンマーで頭をどつかれたかのような重みもある。

本書の中で山登先生は自閉症を「感情マイノリティ」と呼べばいいのではと提案されています。自閉症と単に言うと疾患という印象を持ってしまうからです。

コミュニケーションが困難なので気持ちを他人にわかってもらうことは容易ではありません。それゆえに誤解されてしまいますが、この本を読めば世界観が変わります。

感情表現の多数派は数が多いということであって、それが普通、自閉症は普通ではないということではありません。その理由は本書に紡がれた東出さんの思いや言葉を見ればわかります。

総評

以上、4作品はいわゆる「ハンデキャップがある」人達かもしれません。友人がいる喜びも、食べる幸せも、生きているという実感も湧かないことは普通でしょうか。ハンデキャップではないと言えるでしょうか。僕にはそう思えません。

 自分に持っていないものを持っている人を書いたこれらの作品を読んで、少なくとも僕は命や人間にに対する考え方が変わりました。このブログを読んだどなたかの何かの一助になってくれれば幸いです。

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