氷河期男の咆哮

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【書評】暴かれた伊達政宗「幕府転覆計画」-ヴァティカン機密文書館資料による結論-

  • 176P
  • 著者 大泉光一 
  • 読みやすさ ★★★

伊達政宗といえば戦国武将の中でも5指に入るであろう人気武将。ゲームでも率先して使用されるキャラではないでしょうか。

「あと10年生まれるのが早ければ天下を望めた。」そう言われる正宗が実は江戸の始まりに虎視眈々と天下を狙い、徳川政権の転覆を企んでいた。というのが本書です。しかもローマ教皇をも巻き込み、キリスト教徒を利用してという壮大な計画。実に興味深いではありませんか。歴史愛好家としては捨て置けない本です。

目次

伊達正宗の実体は

では簡単に伊達政宗をおさらいしておきましょう。政宗といえば独眼竜。独眼竜といえば政宗。とはいえ、お馴染みの黒い眼帯は後世の作り話による影響です。片目であったのは事実のようですが、天然痘が原因ではないかと言われています。

ちなみに伊達男の「伊達」も政宗の派手な出で立ちを語源としています(諸説あり)。伊達男といえば「欧州の伊達男」懐かしのK1ファイターステファン・レコですね!誰か知ってますか?(笑)今更気づきましたが、あの「欧州」は「奥州」とかけてたんだな。

話が脱線しました。彼が「あと10年生まれるのが早ければ」と言われる所以は、23歳にして奥州の統一を果たしたからでしょう。

これについては実際に現在の青森や秋田までを領土にしたわけではなく、奥州の大部分を勢力下に置いたというのが事実です。また、23歳の若さでの偉業は裏を返せば先人の積み重ねが発露に至ったと考えるのが妥当でしょう。

しかし後顧の憂いの少ない利点は「信長の野望」における伊達家と島津家を使ってしまいがちなことでも有名。

実際の国力をゲームのように単純比較することはできないでしょうが、野心家の政宗1570年あたりに南下政策を取ることができる状態であったなら、上杉、武田、北条とバチバチ睨み合って戦国面白くなってたんじゃね?というロマンを込め「遅れてきた男」として惜しまれるのでしょう。

でも、実際にはもう天下はほぼ秀吉の手中にあり、政宗は戦国のプレーヤーとしては無理ゲーだったわけです。

秀吉政権下では小田原攻めの遅産で首が飛びそうになったり、一揆の首謀者と疑われたり、朝鮮出兵にもしっかり参加して、なのに謀反を企てていると難癖をつけられたりしながらも、本領安堵で豊臣の時代を切り抜けます。

関が原には参陣していないものの東軍の一員として貢献。大坂の陣にも参加しています。ここで真田幸村の娘を預かり、彼女が仙台真田の祖となったのは有名な話です。

かくして戦乱の時代も終わり、平和な江戸時代を迎えるわけですが、ここにきてまだ政宗が幕府の転覆を画策していたとうのが著者の主張です。

なぜ今になって言い出すのか?

なぜ発見がこのタイミングになったか。

まず、著者大泉光一氏がどんな人物かを説明する必要があります。1943年生まれですので70歳はゆうに越えておられます。青森中央学院大学の教授で国際経営や危機管理を専門としている一方、本書あとがきにあるように「支倉六右衛門常長・慶長遣欧使節」の研究に半世紀を費やしているというマニアックなお方です。

発見が今に至ったのは、この研究に必要な古典ロマンス語をマスターするのに30年以上の月日を要したことがまずひとつ、そしてヴァティカン機密文書館にアクセスできる人間が厳格に制限されていることがもうひとつの理由です。

ヴァティカン機密文書館で何を発見したのか

 ヴァティカン機密文書館で見つけたモノは何か?

それは伊達政宗ローマ教皇に対して、カトリック王に叙任することを請願していたという証拠です。カトリック騎士団の創設を認められたら全国30万人のキリシタンを糾合して徳川幕府を倒し、カトリック王国を作るという申し出をしていたというのです。

政宗はいわゆる「キリシタン大名」ではありませんが、米沢藩キリスト教の布教を許していました。そのきっかけとなったのが、この壮大な計画の絵を描いたもう一人の人物ルイス・ソテロとの出会いです。

ソテロはフランシスコ会の宣教師です。江戸幕府の禁教令によって、火あぶりの刑にされるところでしたが、政宗の助命嘆願によって難を逃れました。(後年、結局火刑によって殉教)

それほど政宗ツーカーの仲だったわけですが、著者はこの恐怖がきっかけで徳川政権下でのキリスト教布教活動に絶望し、政宗を使って転覆を企んだとしています。よって転覆計画のアイデアのほとんどははソテロによるものだといっています。 

支倉常長と慶長遣欧使節団の密命

 支倉常長と慶長遣欧使節団は中学校の日本史の教科書にも出てくるほど有名ですが、その目的は一般的には「メキシコとの通商」「カトリックの宣教師派遣の要請」の2点とされています。

しかし著者は異議を唱えます。本当にそれだけだろうかと。この遣欧使節団は上記の計画を取り付けるという密命を帯びていたというのです。

まずこの使節団の総責任者ともいうべき支倉常長が怪しい。こんなに重要な役割を務める彼はまったくもって伊達家の重臣ではありません。

なぜか。その理由はブラフです。身分が高いといえない支倉氏であれば、もし計画が露見してしまった折、いかようにでも処せるという政宗の用心と配慮ゆえに選出されたわけです。

なぜ失敗したか

 さて、この使節団は結果としてはメキシコへ行った後、スペイン国王とローマ法王に謁見しているのですが、政宗とソテロの画策は何ひとつとして成就しませんでした。

ものすごく単純にいうと「そもそもオメーの君主、キリシタンちゃうやん」と、まったく相手にされなかったのです。

「訳あってまだ洗礼は受けてないんだよねー。でも家臣と領民はみんな洗礼させるよ」みたいな書状があって著書はここ政宗の目論見の甘さとズルさとめっちゃ厳しく責めています。

政宗がもし洗礼を受けていたなら、カトリック王として確実に認められ、日本国内のプロテスタントカトリックの大戦争もあり得たのではないかとも。

そもそも政宗は少年へのラブレターの存在も知られるように男色ですよね。カトリックは同性愛ご法度ですから、政宗の信仰心はあくまでも政治利用するためのものという感じだったんでしょうね。

それぞれの末路

 かくして計画が頓挫してしまい、幕府の禁教令に従って政宗も藩内のキリシタンを弾圧することとなります。それは洗礼まで受けて頑張った支倉常長が帰国したわずか2日後のことでした。

常長はその2年後に没します。ルイス・ソテロは前述しましたが、長崎に密入国して再来日をしましたが捕縛され、火刑という憂き目に遭いました。

野望は霧散し、結局政宗は幕府に恭順することになりました。なんだかとても可哀想なのは支倉氏ですが、彼はメキシコでもスペインでも高い人物評価を得ていたという文献が残っています。

初めて欧州で外交交渉を行った日本人としても後世に名を遺したことは彼の苛烈な人生における救いといえるのではないでしょうか。というか、どう考えても期待以上の働きをしたんだと思います。

総評

というわけで、駆け足で紹介させて頂きました。著者大泉氏がこの研究にかける熱い思ひがヒシヒシと伝わってくるのですが、それだけに少々客観性を欠いてるようにも見えます。

僕は研究者ではないので否定する材料をまったく持っていませんが、反論する専門家が大量にいるであろうことは容易に想像できます。きちんとした検証を行ってくれる人がいれば嬉しい限りなのですが。

本書の説をまったく知らなかった僕はひじょうに楽しく読めました。黒田官兵衛が九州から天下統一を狙っていた的な野望論は、やっぱり胸が踊りますよね。 

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