氷河期男の咆哮

ロストジェネレーションサラリーマンがお送りする育児、書評、時事情報です。

【書評】トマト缶の黒い真実 ゲッベルスと私 ベルリンは晴れているか

せどりを初めて半年になり、いろいろ慣れてきたので作業が効率化され時間が余るようになってきました。始めた当初は仕入れだけでひーひーなってたので慣れってのはえらいもんです。

この半年は僕の自由時間はすべて子供とせどりに費やしてたんで、唯一の趣味である読書からすっかり遠ざかってましたが、近頃は本読めるぐらいの時間の余裕ができてよかったです。

金を稼ぐのは楽しいですが心が潤わない人生ってつまんないですから。というわけで以前チビチビ書いていた書評も続けたいなーという次第です。

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トマト缶の黒い真実

どこにでも売ってて誰でも口にしたことがあるであろうトマト缶に、実は現代資本主義の縮図が詰まっているという、かなり読み応えのある一冊です。

中国、アフリカ、ヨーロッパと飛び回り、ヒエラルキーの上層から下層に至るまで、現場取材もしていて、これぞジャーナリズムではないでしょうか。

現代のみならずトマト缶の誕生の歴史、ひいては資本主義の勃興期にまでも触れられています。

なんだか読んでてつらくなったりするんです。アフリカを食料と武器の廃棄地帯として平然としている先進国にガッカリして。「先進国っていうか人間ってなぁ」って。

たったひとつ、イタリアのゲットーで無償で働く医師のくだりには人間の光を感じてほっとしました。

本書読後は安いトマト缶買うのはイヤになることうけあいです。もっと売れてもよさそうな傑作だと思うのですが、食品メーカーの都合上、広告的にプッシュできないのかなと勘繰ったりもしてしまいます(笑)

ゲッベルスと私

同名タイトルの映画の書籍化です。ゲッベルスといえば、もちろんナチスの広告塔ゲッベルスのこと。彼の下につかえた「普通の女性」による当時の回想録です。

ヒトラーが好きとか、ナチスが好きとかいう意味ではなく、この時代のドイツに関する本はとても興味深いものが多いです。

どうしてああなったのか?なぜそれがまかりとおったのか?そして、再びそのようなことは起こりうるのか?

ナチスドイツという組織にスポットを当てた本はたくさんありますが、一般市民でなおかつ中枢に近いところにいた人の目線というのはあまり見たことがありません。

そういう意味で歴史的価値も高い作品ではないでしょうか。

欧米でポピュリスト、ナショナリズムが台頭し、世界に不安定感をもたらしている今世紀と照らし合わせて読んでみると、より一層興味深いものとなります。

日本だって10年20年後はどうなっているかわかりません。やれ自己責任だ、格差社会だと、民衆の分断を助長する要素はすでに揃ってますからね。

悪しきリーダーが現れないことを願うばかりです。

ベルリンは晴れているか/深緑 野分

たまたまナチスドイツ物が続きましたが、こちらはフィクション。ジャンル的には歴史+ミステリです。

戦中~終戦直後のドイツが主人公17歳の少女アウグステの目を通して描かれているんですが、その描写が瑞々しいわ生々しいわ。このへんは深緑さんの文才に惚れ惚れします。

描写のみならず、長編をまったく気にさせない構成の巧みさで最後までまったく飽きさせません。ナチスの圧政によって運命を捻じ曲げられていくアウグステの様は胸がつぶれるほどに苦しい。

ラスト数十ページの展開は圧巻で、僕はもう最後の一行に残る余韻に至るまで堪能させて頂きました。

深緑野分さんは僕の中でバズってて今後も楽しみな作家さんです。

おわりに

せどりやってると楽しくてどんどん深堀りしてしまいますが、たまには立ち止まって自分の世界に没頭するのも大事です。やっぱり。

せどり業界を覗いてみれば、景気のいい話ばかりで「なぜ今やらないんですか」的なマルチ商法の勧誘風のあおり文句が飛び交ってます。

人に動かされてやってるようでは結局会社員みたいなもんだから。大事なのはマイペース。へぼせどらーでいいんで楽しけりゃいいんじゃないすかね。意識低い系のせどらーで。

【書評】明治という国家

2017年は「維新150年」ということで関連本がたくさん出版されました。本書は2018年発売ですがそのうちの一冊です。

そもそもは1989年に放映されたNHKスペシャル「太郎の国の物語」を書籍化したものなので、メチャメチャ古い本です。

司馬さんの幕末・明治観が全11章にわたって簡潔にまとまっているので、いわゆる「司馬史観」を俯瞰するには丁度いいでしょう。

ひとつケチをつけておくと、その件に関して出版社からの説明が一切書かれていないとうのはいささか不親切な気がします。

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この本を読んだ理由

改めて本書を手に取ったのは理由があります。上述した明治維新関連本を読んでいる中で、司馬さんがとても悪し様に書かれている本がありました。

具体的にはこの2冊です。

いずれも司馬遼太郎の明治賛美の対極にある歴史を伝えるもので、僕が知らない歴史を学ぶいい機会になりました。

僕たちが習った幕末~明治維新はこんなもんでした。

  1. ペリー来航
  2. 幕府パニック
  3. 無能な幕府が不平等条約をどんどん押し付けられる
  4. 薩長オコ 民衆もオコ
  5. 坂本龍馬が幕府に大政奉還させる
  6. このへんからうやむや

とまあ1990年代の授業では大筋こんな具合でした。

これに司馬遼太郎の小説が手伝って、またそれが面白いもんだから、すっかり「薩長と龍馬スゲーな」という意識が自分にも刷り込まれていました。

ですが、史実は全然違ったようです。このへんの誤りが上記2冊を読むとわかるかと思います。

で、まぁ言われるわけです。「司馬遼太郎の誤りのせいで日本人みんなが誤解している」と。

僕は司馬さんの小説が好きですが、彼を歴史家だと認識して本を読んだことはありません。

「キングダム」を読むのと同じように、フィクションを交えて面白ければいいわけです。北方謙三三国志も同じです。作り話でいいのです。

それならノンフィクションならどうなんだということで、この「明治という国家」を読んでみることにしたわけです。

司馬遼太郎の誤り 坂本龍馬

これはもう先日、坂本龍馬が教科書から消える騒動でもあったとおり、司馬さんが評価しているような龍馬の功績というのは史実ではないという説に傾いています。

船中八策」がそもそも龍馬が発案したものではなく、「薩長同盟」も龍馬によって仲立ちされたという史実が誤りであるようです。

グラバー商会の代理人として武器の仲介役をしていただけというのは身も蓋もない話ですが、悲しいかなこっちの方がしっくりくるような気もします。

本書でも司馬さんは龍馬のことをガッツリ褒めたたえています。まぁ司馬さんは大正生まれですからね。

小説家に事実誤認があったとしても、取り立てて糾弾されるようなことではないんですが、人気がありすぎたせいで後の世になって槍玉に挙げられるというのは皮肉な話です。

小栗忠順という男

小栗忠順という人物の名を聞いたことがあるでしょうか?

彼は教科書にも載らない幕末の騒乱に露と消えてしまった不世出の天才です。あらゆる書を読んでも小栗を讃える話しか出てきません。

司馬さんも彼を「明治の父」と評しています。

幕臣として江戸幕府の近代化を推進し、現代にも残る横須賀造船所の礎も建設しました。

最期まで幕府に殉じ、42歳の若さで処刑。戊辰戦争においては必勝の戦略を徳川慶喜に献策するも、慶喜はこれを却下して敵前逃亡してしまいます。

敵方の大村益次郎が「その策が実行されていたら今頃我々の首はなかったであろう」と言ったとうエピソードがとても有名です。

戦う意思のない大将を選んだ時点で小栗の命運は決まっていたわけですね。

司馬さんは小栗忠順だけではなく、権力は薩長が握って実務は旧幕臣に頼っていた旨を述べています。

なので、この辺の歴史認識は教科書で習う「幕府パッパラパー説」とは違いますね。僕も全力で政府に尽力された旧幕臣の方たちに謝りたいです。

明治のキリトリについて

司馬史観が議論を呼ぶところの最大の点は、明治時代だけを非連続性の時代としてとらえているところでしょう。

本書の終盤ではこのように述べています。

十九世紀のアメリカ東部に展開したプロテスタンティズムという精神の社会が~中略~歴史の中で独立し、ときには連鎖せずに孤立しているとみるほうがより親しみぶかく感じられるように、ある時期の世界史にそういう国があったと見るほうがわかりやすい。

さらには、そのほうがーつまり明治国家がいまの日本人の私物ではないと考えるほうがー私の気分をくっきりさせる

「 あったと見るほうがわかりやすい」「私の気分をくっきりさせる」というのは、つまり小説家司馬遼太郎が、物語を書く上でその方が面白くなると言っていると僕は解釈します。

繰り返しますが司馬遼太郎は歴史家ではなく小説家です。時代小説に歴史考証は不可欠ですが必要なのは真実ではなく、どうしたら面白いかです。シェイクスピアもしかりです。

最高に極端な例を出してアレですが、キン肉マンのストーリーに整合性を求めるぐらい不毛なことですよ。フィクション作家にケチをつけるというのは。

小説家の発言がその影響力の絶大さゆえに歴史家の発言としてひとり歩きしてしまったというのが僕の印象です。

総評

今回、僕が意識して読んだ分だけを取り上げましたが、出版当時からまったく色褪せない話が他にもたくさんあります。

実は坂本龍馬に関しては余談程度で触れるぐらいで1章割いていなかったりもしますし。

司馬さんはあくまでも小説家として題材を幕末~明治に求めただけで、真実を追及していたわけではありません。

それはこの本を読んでいても感じます。戦争体験による昭和軍国主義への憎悪が明治時代へのロマンチシズムに向かったという評価はおそらく正しいのでしょう。

司馬遼太郎歴史認識がたとえ誤りであったとしても、それが彼の創造性をかきたてたのであれば、後世その作品の世界観を楽しんだ僕には何ら迷惑なことではありません。

真実は学者が追及して発表すればいいんですから。正しい説には勝手に人が集まってきますよ。多分。

なんか国会を見てるとそうも言えない気もするけど。。。

とうことで、あえて司馬さんの坂本龍馬評にて締めておこうと思います。

坂本の風雲の生涯は、印象として奇策縦横にみえますし、事実そうでした。その発想は現実の泥ぬまー幕藩体制や身分制ーからわずかに超越してその観念(国民国家という)を宙空に置いていたからでしょう。

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【書評】明治維新という過ち-日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト

  • 416P
  • 著者 原田伊織
  • 読みやすさ ★★★★

司馬史観ということばがあるように、幕末の動乱から明治維新にかけての日本人の認識は著しく司馬遼太郎の影響を受けています。僕も初めて通読した小説が「龍馬がゆく」というわかりやすい司馬ファンです。

大河ドラマスペシャルドラマとして氏の小説は何度も原作として使われているので、あたかも司馬氏の物語が真実であるかのようにまかり通ってしまっている。そして、歴史の授業で習うような事柄でさえも薩長が書いた、すなわち「勝者が作った歴史」だというのが本書です。

「なるほど」と思うように書いてあるのはそういう本なので当たり前なわけですが、客観的にみても頷ける点は多々あります。

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 龍馬という虚像

犬猿の仲であった薩長同盟を一人で取り付け、大政奉還へと導いた偉人「坂本龍馬」。これが僕も習った歴史ですが、2017年末に「坂本龍馬吉田松陰が教科書から消える」というニュースがありました。

こんな大事を成した人間が歴史を学ぶ上で不要ということはありえないですよね。確かに。本書では龍馬は単なるグラバー商会の代理人だったとあります。

グラバー商会はアヘン戦争による中国侵略の中心勢力であった「ジャーディンマセソン商会」の日本代理店です。武器や兵糧が欲しい薩長とグラバー商会との仲介に龍馬の「亀山社中」を使ったということです。

薩長同盟という軍事同盟がそもそも存在しないともあります。薩長同盟の根拠とされる6か条の内容が、討幕を目的とした運命共同体になるという内容ではまったくないのです。まぁ確かになんでもたった一人で成し遂げたスーパーマンよりも、外国の出先機関の手先だったという方が、現実味はありますよね。 

吉田松陰の物ではなかった松下村塾

 松下村塾といえば幕末の志士たちを幾多輩出した吉田松陰の私塾。このイメージが強いのではないのでしょうか。ですがこれは誤りです。松下村塾は開いたのは松陰の叔父にあたる玉木文之進が主催していた私塾で松陰は門弟です。

ですので、松下村塾の名は「松陰」に由来するものではありません。場所が松本村だったのでその「松」です。

表題でも名指ししているだけあって著者は松陰を「稚拙な外交思想」「長州藩の厄介者だった」とクソミソ。

ちなみに「稚拙な外交姿勢」というのは、

・北海道の開拓及び、カムチャッカからオホーツク一帯の占拠

・朝鮮を属国とする

満州・台湾・フィリピンを領有する

というもので、後の世に日本軍はそれを実行していたりします。

目的達成のためには暗殺も辞さずという姿勢や不満分子を糾合したカリスマという点では、今でいうところのISのような扱いですかね。本書の文脈的には。

幕府の役人=無能は誤解

列強に日本を食い散らかされた無能な幕府役人とそれをすんでの所で救い明治維新を成し遂げ日本の独立を守った薩長というのがまた、教科書通りの教えです。

もちろんこれにも異議を唱えています。幕末には優秀な外交官僚がいて、彼らは実際に大政奉還の後も外交交渉を担当していました。この点については明治を創った幕府の天才たち 蕃書調所の研究という本に詳細があります。

政権奪取に成功した中心人物は皆20代、当時の背景に照らし合わせても若輩者といって差し支えないでしょう。彼らだけで政権運営を担当するというのは土台無理な話です。

幕臣たちがみんなポンコツだった方が、勝者である薩長には都合がいいですからね。

 総評

 ということで、本書のテンションに沿ってきましたが、龍馬や松陰が果たした役割は推測することしかできません。「暗躍」したのか「縁の下の力持ち」だったのか。

ただ、僕自身は司馬さんの小説によって司馬バイアスがかかっていたことは間違いありません。だって面白いんだもの。

2017年は維新150年にあたり、本書の他にも明治維新を再考する本が数多く出版されました。今まで光が当たることのなかった敗者である幕府を容易に知ることができるようになりました。

新しい観点を持って読む幕末本は読書により深みを与えてくれると思います。

【書評】女系図でみる驚きの日本史

女系図といわれてピンとくるのは僕が競馬ファンだから。「牝系」という概念は競馬界では常識ですが、人間社会は男系を重んじる社会です。

「お家断絶」ということばがありますが、これは直系の男子がいなくなった時のことを指します。娘から派生した系図を「お家」と認めないということですね。

競馬の牝系に詳しい人間は数あれど、日本の歴史の女系に精通しているのはこの著者しかいないのではないでしょうか。女系図を元に日本史に光を当てると違った一面が見えてくるというのが本書の試みです。

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平家滅亡は間違い 現代にも残る平氏の血筋

平家は壇ノ浦の戦いで滅亡したという印象の強い平家ですが、それは誤りです。壇ノ浦の戦いをもって平家一門が政治勢力から駆逐されましたが、一族全滅したわけであはりません

さらにいうと平清盛の直系男子が途絶えたのも戦から14年経った後でした。 そして清盛が正妻時子との間にもうけた娘から連ならる血筋はなんと、現代の今上天皇にまで繋がっているのです。

その一方で、戦の勝者である源氏の棟梁、源頼朝の直系子孫は幕府の終わりを待たずして途絶えてしまいました。そしてもうひとついうと頼朝の妻、鬼の北条政子平氏の血筋であったりします。女系図から見ればむしろ勝者は平氏になってしまうというわけです。

平安文学は近親だらけ者

紫式部源氏物語」、清少納言枕草子」、菅原孝標女更級日記」、藤原道綱母蜻蛉日記」、赤染衛門栄花物語」。

誰もがいちどは必死こいて覚えたのではないでしょうか。平安の女流文学者たち。女系図で表すと彼女たちもあちこちで接点があることが見えてきます。

ものすごく狭いコミュニティに日本史に燦然と名を遺す女性たちがいたわけですが、これを著者は「文化資本」ということばでもって説明しています。

要するにハイスペック家庭の連鎖のことです。現代でも教育機会の不均衡は問題になっていますが、情報を得るツールが何もないこの時代、金持ちで教養がある親の元に生まれた子とそうでない子が手にするスペックの差は今の比ではありません。

今でいうところの「ネオヒルズ族」同士で懇ろに文学を嗜んでいたというところでしょう。

女系をロボット化した徳川

最後に面白いところで、江戸時代の将軍家について。徳川15代将軍のうち正妻の子はたった3人しかいませんでした。将軍の正妻が将軍を産んだ例はたった一例。家光の正妻お江のみです。

他の時代と比べて、為政者の母の身分が異様に低いのには理由があります。強い「外戚」を作らないためです。

古今東西今昔、外戚はいくども獅子身中の虫となってきました。平安時代藤原氏鎌倉時代の北条氏、室町時代の日野氏もしかりです。

徳川家は歴史に学び、世継ぎの母を身分の低い者にすることで外戚を作りませんでした。いわば母をロボット化したのです。

偉いのは正妻。でも正妻の子は将軍じゃないので、正妻の父も偉そうにできません。徳川家のシステム作りにはほんと頭が下がります。

総評

他にも「聖徳太子天皇説」や「義経が殺された理由」「茶々と家康の因縁」などなど、女系図から読み解く面白い話が盛りだくさん。マニアックが過ぎるので少々置き去りにされたりしながらも、トピックの魅力でなんとか戻ってくる感じです。中高生の頃から女系図作りに勤しんでいたという著者には脱帽するばかり。

【書評】暴かれた伊達政宗「幕府転覆計画」-ヴァティカン機密文書館資料による結論-

  • 176P
  • 著者 大泉光一 
  • 読みやすさ ★★★

伊達政宗といえば戦国武将の中でも5指に入るであろう人気武将。ゲームでも率先して使用されるキャラではないでしょうか。

「あと10年生まれるのが早ければ天下を望めた。」そう言われる正宗が実は江戸の始まりに虎視眈々と天下を狙い、徳川政権の転覆を企んでいた。というのが本書です。しかもローマ教皇をも巻き込み、キリスト教徒を利用してという壮大な計画。実に興味深いではありませんか。歴史愛好家としては捨て置けない本です。

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伊達正宗の実体は

では簡単に伊達政宗をおさらいしておきましょう。政宗といえば独眼竜。独眼竜といえば政宗。とはいえ、お馴染みの黒い眼帯は後世の作り話による影響です。片目であったのは事実のようですが、天然痘が原因ではないかと言われています。

ちなみに伊達男の「伊達」も政宗の派手な出で立ちを語源としています(諸説あり)。伊達男といえば「欧州の伊達男」懐かしのK1ファイターステファン・レコですね!誰か知ってますか?(笑)今更気づきましたが、あの「欧州」は「奥州」とかけてたんだな。

話が脱線しました。彼が「あと10年生まれるのが早ければ」と言われる所以は、23歳にして奥州の統一を果たしたからでしょう。

これについては実際に現在の青森や秋田までを領土にしたわけではなく、奥州の大部分を勢力下に置いたというのが事実です。また、23歳の若さでの偉業は裏を返せば先人の積み重ねが発露に至ったと考えるのが妥当でしょう。

しかし後顧の憂いの少ない利点は「信長の野望」における伊達家と島津家を使ってしまいがちなことでも有名。

実際の国力をゲームのように単純比較することはできないでしょうが、野心家の政宗1570年あたりに南下政策を取ることができる状態であったなら、上杉、武田、北条とバチバチ睨み合って戦国面白くなってたんじゃね?というロマンを込め「遅れてきた男」として惜しまれるのでしょう。

でも、実際にはもう天下はほぼ秀吉の手中にあり、政宗は戦国のプレーヤーとしては無理ゲーだったわけです。

秀吉政権下では小田原攻めの遅産で首が飛びそうになったり、一揆の首謀者と疑われたり、朝鮮出兵にもしっかり参加して、なのに謀反を企てていると難癖をつけられたりしながらも、本領安堵で豊臣の時代を切り抜けます。

関が原には参陣していないものの東軍の一員として貢献。大坂の陣にも参加しています。ここで真田幸村の娘を預かり、彼女が仙台真田の祖となったのは有名な話です。

かくして戦乱の時代も終わり、平和な江戸時代を迎えるわけですが、ここにきてまだ政宗が幕府の転覆を画策していたとうのが著者の主張です。

なぜ今になって言い出すのか?

なぜ発見がこのタイミングになったか。

まず、著者大泉光一氏がどんな人物かを説明する必要があります。1943年生まれですので70歳はゆうに越えておられます。青森中央学院大学の教授で国際経営や危機管理を専門としている一方、本書あとがきにあるように「支倉六右衛門常長・慶長遣欧使節」の研究に半世紀を費やしているというマニアックなお方です。

発見が今に至ったのは、この研究に必要な古典ロマンス語をマスターするのに30年以上の月日を要したことがまずひとつ、そしてヴァティカン機密文書館にアクセスできる人間が厳格に制限されていることがもうひとつの理由です。

ヴァティカン機密文書館で何を発見したのか

 ヴァティカン機密文書館で見つけたモノは何か?

それは伊達政宗ローマ教皇に対して、カトリック王に叙任することを請願していたという証拠です。カトリック騎士団の創設を認められたら全国30万人のキリシタンを糾合して徳川幕府を倒し、カトリック王国を作るという申し出をしていたというのです。

政宗はいわゆる「キリシタン大名」ではありませんが、米沢藩キリスト教の布教を許していました。そのきっかけとなったのが、この壮大な計画の絵を描いたもう一人の人物ルイス・ソテロとの出会いです。

ソテロはフランシスコ会の宣教師です。江戸幕府の禁教令によって、火あぶりの刑にされるところでしたが、政宗の助命嘆願によって難を逃れました。(後年、結局火刑によって殉教)

それほど政宗ツーカーの仲だったわけですが、著者はこの恐怖がきっかけで徳川政権下でのキリスト教布教活動に絶望し、政宗を使って転覆を企んだとしています。よって転覆計画のアイデアのほとんどははソテロによるものだといっています。 

支倉常長と慶長遣欧使節団の密命

 支倉常長と慶長遣欧使節団は中学校の日本史の教科書にも出てくるほど有名ですが、その目的は一般的には「メキシコとの通商」「カトリックの宣教師派遣の要請」の2点とされています。

しかし著者は異議を唱えます。本当にそれだけだろうかと。この遣欧使節団は上記の計画を取り付けるという密命を帯びていたというのです。

まずこの使節団の総責任者ともいうべき支倉常長が怪しい。こんなに重要な役割を務める彼はまったくもって伊達家の重臣ではありません。

なぜか。その理由はブラフです。身分が高いといえない支倉氏であれば、もし計画が露見してしまった折、いかようにでも処せるという政宗の用心と配慮ゆえに選出されたわけです。

なぜ失敗したか

 さて、この使節団は結果としてはメキシコへ行った後、スペイン国王とローマ法王に謁見しているのですが、政宗とソテロの画策は何ひとつとして成就しませんでした。

ものすごく単純にいうと「そもそもオメーの君主、キリシタンちゃうやん」と、まったく相手にされなかったのです。

「訳あってまだ洗礼は受けてないんだよねー。でも家臣と領民はみんな洗礼させるよ」みたいな書状があって著書はここ政宗の目論見の甘さとズルさとめっちゃ厳しく責めています。

政宗がもし洗礼を受けていたなら、カトリック王として確実に認められ、日本国内のプロテスタントカトリックの大戦争もあり得たのではないかとも。

そもそも政宗は少年へのラブレターの存在も知られるように男色ですよね。カトリックは同性愛ご法度ですから、政宗の信仰心はあくまでも政治利用するためのものという感じだったんでしょうね。

それぞれの末路

 かくして計画が頓挫してしまい、幕府の禁教令に従って政宗も藩内のキリシタンを弾圧することとなります。それは洗礼まで受けて頑張った支倉常長が帰国したわずか2日後のことでした。

常長はその2年後に没します。ルイス・ソテロは前述しましたが、長崎に密入国して再来日をしましたが捕縛され、火刑という憂き目に遭いました。

野望は霧散し、結局政宗は幕府に恭順することになりました。なんだかとても可哀想なのは支倉氏ですが、彼はメキシコでもスペインでも高い人物評価を得ていたという文献が残っています。

初めて欧州で外交交渉を行った日本人としても後世に名を遺したことは彼の苛烈な人生における救いといえるのではないでしょうか。というか、どう考えても期待以上の働きをしたんだと思います。

総評

というわけで、駆け足で紹介させて頂きました。著者大泉氏がこの研究にかける熱い思ひがヒシヒシと伝わってくるのですが、それだけに少々客観性を欠いてるようにも見えます。

僕は研究者ではないので否定する材料をまったく持っていませんが、反論する専門家が大量にいるであろうことは容易に想像できます。きちんとした検証を行ってくれる人がいれば嬉しい限りなのですが。

本書の説をまったく知らなかった僕はひじょうに楽しく読めました。黒田官兵衛が九州から天下統一を狙っていた的な野望論は、やっぱり胸が踊りますよね。 

コピーライト by 氷河期男の咆哮