【書評】明治という国家
- 312P
- 著者 司馬遼太郎
- 読みやすさ ★★★★★
2017年は「維新150年」ということで関連本がたくさん出版されました。本書は2018年発売ですがそのうちの一冊です。
そもそもは1989年に放映されたNHKスペシャル「太郎の国の物語」を書籍化したものなので、メチャメチャ古い本です。
司馬さんの幕末・明治観が全11章にわたって簡潔にまとまっているので、いわゆる「司馬史観」を俯瞰するには丁度いいでしょう。
ひとつケチをつけておくと、その件に関して出版社からの説明が一切書かれていないとうのはいささか不親切な気がします。
目次
この本を読んだ理由
改めて本書を手に取ったのは理由があります。上述した明治維新関連本を読んでいる中で、司馬さんがとても悪し様に書かれている本がありました。
具体的にはこの2冊です。
いずれも司馬遼太郎の明治賛美の対極にある歴史を伝えるもので、僕が知らない歴史を学ぶいい機会になりました。
僕たちが習った幕末~明治維新はこんなもんでした。
とまあ1990年代の授業では大筋こんな具合でした。
これに司馬遼太郎の小説が手伝って、またそれが面白いもんだから、すっかり「薩長と龍馬スゲーな」という意識が自分にも刷り込まれていました。
ですが、史実は全然違ったようです。このへんの誤りが上記2冊を読むとわかるかと思います。
で、まぁ言われるわけです。「司馬遼太郎の誤りのせいで日本人みんなが誤解している」と。
僕は司馬さんの小説が好きですが、彼を歴史家だと認識して本を読んだことはありません。
「キングダム」を読むのと同じように、フィクションを交えて面白ければいいわけです。北方謙三の三国志も同じです。作り話でいいのです。
それならノンフィクションならどうなんだということで、この「明治という国家」を読んでみることにしたわけです。
司馬遼太郎の誤り 坂本龍馬
これはもう先日、坂本龍馬が教科書から消える騒動でもあったとおり、司馬さんが評価しているような龍馬の功績というのは史実ではないという説に傾いています。
「船中八策」がそもそも龍馬が発案したものではなく、「薩長同盟」も龍馬によって仲立ちされたという史実が誤りであるようです。
グラバー商会の代理人として武器の仲介役をしていただけというのは身も蓋もない話ですが、悲しいかなこっちの方がしっくりくるような気もします。
本書でも司馬さんは龍馬のことをガッツリ褒めたたえています。まぁ司馬さんは大正生まれですからね。
小説家に事実誤認があったとしても、取り立てて糾弾されるようなことではないんですが、人気がありすぎたせいで後の世になって槍玉に挙げられるというのは皮肉な話です。
小栗忠順という男
小栗忠順という人物の名を聞いたことがあるでしょうか?
彼は教科書にも載らない幕末の騒乱に露と消えてしまった不世出の天才です。あらゆる書を読んでも小栗を讃える話しか出てきません。
司馬さんも彼を「明治の父」と評しています。
幕臣として江戸幕府の近代化を推進し、現代にも残る横須賀造船所の礎も建設しました。
最期まで幕府に殉じ、42歳の若さで処刑。戊辰戦争においては必勝の戦略を徳川慶喜に献策するも、慶喜はこれを却下して敵前逃亡してしまいます。
敵方の大村益次郎が「その策が実行されていたら今頃我々の首はなかったであろう」と言ったとうエピソードがとても有名です。
戦う意思のない大将を選んだ時点で小栗の命運は決まっていたわけですね。
司馬さんは小栗忠順だけではなく、権力は薩長が握って実務は旧幕臣に頼っていた旨を述べています。
なので、この辺の歴史認識は教科書で習う「幕府パッパラパー説」とは違いますね。僕も全力で政府に尽力された旧幕臣の方たちに謝りたいです。
明治のキリトリについて
司馬史観が議論を呼ぶところの最大の点は、明治時代だけを非連続性の時代としてとらえているところでしょう。
本書の終盤ではこのように述べています。
十九世紀のアメリカ東部に展開したプロテスタンティズムという精神の社会が~中略~歴史の中で独立し、ときには連鎖せずに孤立しているとみるほうがより親しみぶかく感じられるように、ある時期の世界史にそういう国があったと見るほうがわかりやすい。
さらには、そのほうがーつまり明治国家がいまの日本人の私物ではないと考えるほうがー私の気分をくっきりさせる
「 あったと見るほうがわかりやすい」「私の気分をくっきりさせる」というのは、つまり小説家司馬遼太郎が、物語を書く上でその方が面白くなると言っていると僕は解釈します。
繰り返しますが司馬遼太郎は歴史家ではなく小説家です。時代小説に歴史考証は不可欠ですが必要なのは真実ではなく、どうしたら面白いかです。シェイクスピアもしかりです。
最高に極端な例を出してアレですが、キン肉マンのストーリーに整合性を求めるぐらい不毛なことですよ。フィクション作家にケチをつけるというのは。
小説家の発言がその影響力の絶大さゆえに歴史家の発言としてひとり歩きしてしまったというのが僕の印象です。
総評
今回、僕が意識して読んだ分だけを取り上げましたが、出版当時からまったく色褪せない話が他にもたくさんあります。
実は坂本龍馬に関しては余談程度で触れるぐらいで1章割いていなかったりもしますし。
司馬さんはあくまでも小説家として題材を幕末~明治に求めただけで、真実を追及していたわけではありません。
それはこの本を読んでいても感じます。戦争体験による昭和軍国主義への憎悪が明治時代へのロマンチシズムに向かったという評価はおそらく正しいのでしょう。
司馬遼太郎の歴史認識がたとえ誤りであったとしても、それが彼の創造性をかきたてたのであれば、後世その作品の世界観を楽しんだ僕には何ら迷惑なことではありません。
真実は学者が追及して発表すればいいんですから。正しい説には勝手に人が集まってきますよ。多分。
なんか国会を見てるとそうも言えない気もするけど。。。
とうことで、あえて司馬さんの坂本龍馬評にて締めておこうと思います。
坂本の風雲の生涯は、印象として奇策縦横にみえますし、事実そうでした。その発想は現実の泥ぬまー幕藩体制や身分制ーからわずかに超越してその観念(国民国家という)を宙空に置いていたからでしょう。
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