アトピーは治すより一生つきあう方が楽 ~アトピー生活40年史~ その3
アトピー生活40年。成人後に突然アトピーが復活して、子供の頃よりヒドい症状が出たという話が前回まで。
アトピーは治すより一生つきあう方が楽 ~アトピー生活40年史~ - 氷河期男の咆哮
アトピーは治すより一生つきあう方が楽 ~アトピー生活40年史~ その2 - 氷河期男の咆哮
この頃の写真を見返すとやっぱりヒドいです。顔が真っ赤だしカサブタだらけだし。
当時はもう、日に日に悪化していくアトピーいったいどうしたらいいかサッパリわからずお手上げ状態でしたませんでした。
目次
アトピーが止まらない
病気の悪化を止める方法は大きく別けると2つです。「原因」をつきとめしかるべき「対処」を施すこと。
今の時代は必死でググればある程度核心にたどり着くことができます。しかし1990年代中頃はポケベルがあっという間に淘汰され、ようやく携帯電話が普及し始めたかという時代。
後述しますが、当時はアトピーに関する情報が錯綜しまくっていた時代だったと思います。
僕はまずカサカサの肌を潤わすために水道水をベチャベチャ塗りたくって放置するという、乾燥肌増強みたいなことをしていました。
今ならネットでちょっと調べれば濡れた肌はしっかり水分を取った後、保湿しないといけないことぐらいは小学生でもわかるんですが、20歳も超えた人間がやっていた対処法が「水道水で濡らす」ですから。
しかも徹夜のバイト中にやるから効果は倍増です。僕の肌は日増しにパリパリになっていきました。
今現在は全身にまんべんなく薄く症状が出ていますが、当時は首から上に集中的に発症していました。
やっぱツラいですよ、顔は。男とはいえ思春期ですからね。イキりたい年ごろじゃないですか。なんかもう、顔をあまり見られたくないから引っ込み思案になってしまったような気がします。
痒いのを掻くとまた、乾燥してるからボロボロ粉吹くんで、なんか不潔なのもたまりません。きっと誰よりも清潔にして気遣っているのに。
アトピーの悪化との因果関係は不明ですが、当時は毎日、蕁麻疹が出て全身の痒みに悩まされていました。
痒みって経験者にしかわからないけど地味に地獄なんですよね。やっかいなのは掻くと気持ちよくなってしまうことです。
なんなんでしょうねアレは。気持ちいから掻きまくっているとどんどん周りに広がっていくという悪循環。
比較的軽度な症状の僕ですらこれですから、症状が重い方の心中は察するに余りあります。僕はまぁ過度の偏食があるので、自業自得と思ってるんですけど、世の中にはきっと何の罪もないのに痒さに苦しんでいる人がいるんですよね。
こう言うと偏見と思われるかもしれませんが、おもっきりビジュアルに影響が出るアトピーは年頃の女性にとっては絶望的な病だと思うんです。
オッサンになった今でもやっぱり見えるところのアトピーは気になりますから。
「痛い」は同情されるけど「痒い」はされない。一度味わって欲しいぜ。
アトピー克服のためにやったこと
病が悪化したら当然、病院に行くんですがかかりつけの医者に行っているだけでは、まったく改善されませんでした。
ステロイドを渡されるんですけど、毎日ベタベタ塗っていても一向に良くならない。今の常識でいうと、このステロイドの常用というのは最悪の治療だったんですけど、医者がそれを勧めてくる時代でしたから。
当時、率先して治療法を探していたのは母親でした。成人した息子というのになんて過保護なんだと思いますが、親となった今ではわかります。
子どもが苦しんでいたら全力で助けたいのが親というもの。僕の人生にほとんど干渉することがなかった我が母親ですが、この時ばかりは相当心配だったようです。
良い病院の情報をどこからか聞きつけて、僕もそこへ行ったりしました。大阪に住んでいたのですが、住まいから遥か離れた病院に行って、診察まで半日以上待たされた挙句、検査してしょうもない薬だけもらって帰るということもありました。
そんな一回きりで治るもんじゃないんですよねー。当たり前ですけど。遠くの医者は行く意味ないですね。手術のような一回きりの治療なら別ですが、慢性的な病気で通うのは非現実的です。それでも当時はそれぐらい困っていたわけです。
母親がバカ高い漢方薬を薬局で買ってきたこともありました。
吐きそうなほどマズい味噌みたいなもので、初めは料理に混ぜていたりしたのですが、とても食えたものではないので、鼻の息をストップして一気食いしていました。
薬局の人間は弱みに付け込んで売りつけたに違いありません。人はこういう風に宗教にはまって高額なモノを買わされるのかもしれないと、今振り返るとそう思います。
脂身がアトピーには悪いということで、食事の肉から脂身がすべて除去されたり、オリーブオイルがいいと聞くと、純度の高っいやつ買ってきて全身に塗りたくって、ギトギト人間になっていました。
そんなこんな、色々やりましたが結局、アトピーは良化することはありませんでした。
ただ、当時の記憶は今でも鮮明に焼き付いています。
その方法が正しかったのかどうかは別にして、母は自分の知りうる知識と労力をフル動員して僕のアトピーを良くしたかったんだと思います。
親のこういう姿って一生忘れませんよね。アトピーが治ることはありませんでしたが、とても大事なモノをもらったと思います。
まとめ
さて、このアトピー最悪期ですがひょんなことからスルッと抜け出すことができました。長くなりましたのでこの続きはまた次回にしたいと思います。
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